林くんの日記 ~あの頃の 僕に捧げる ムダ知識~

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「能力不足」でクビになった大阪市職員は「ADHD」だと思う

大阪市橋下徹市長の主導で2012年に制定された「職員基本条例」に基づいて、職員2人が民間で言う解雇にあたる「分限免職」の処分を受けた。

2015年9月30日付で免職になったのは、都市整備局の男性技術員(43)と港湾局の男性事務職員(33)。それ以外にも同局の女性事務職員(46)が降任(降格)処分を受けた。


免職の理由は「能力不足」。

大阪市人事によると「1年以上かけて指導等を実施してきたが、公務員として通常要求される勤務実績や適格性が欠けていると判断し、免職処分とした」とのことだ。



具体的には、次のような点が「能力不足」だったらしい。

①事務手続きで初歩的なミスを繰り返し(エクセルに正しく数字を打ち込めない)、常に他の職員の支援が必要な状態だった。

②指示された書類作成の仕事ができたか上司から尋ねられて「作っています」と作業完了を報告したにもかかわらず、実際には着手すらしていなかった。上司が問いただすと意味の分からない言い訳を繰り返した。

③いわゆる「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」ができないなど、上司や同僚とコミュニケーションが取れない状態が続いた。

④昼休みの時間を守らない。


Twitter”や”Yahooニュース”でのコメントを見ると、
「免職になった大阪市職員はADHD等の発達障害ではないか?」
といった声がちらほら存在した。


はたして、免職になった大阪市職員は、ADHDなのだろうか?



ここで、ADHDについて良く知らない人のために、ADHDについて少し説明することにする。

ADHD(注意欠陥・多動性障害)とは、発達障害のひとつである。

ADHDの人間には、次のような先天的な脳の機能不全がある。

・注意力や集中力を自分の意志で適切にコントロールする能力が低い。

・脳のワーキングメモリ(短期記憶)の容量が小さい。

 

このような脳の機能不全のために、普通の人と比べると、次のような特徴が、頻繁に現れてしまう。

・自分の関心が無いことに関しては、注意散漫で忘れっぽく、ミスが多かったり、別のことを考えて人の話が耳に入らなかったり、眠たくなったりする。

・自分の関心があることに関しては、高い集中力を発揮して、パフォーマンスが向上することがある(その間は周りが全く見えなくなってしまう)。

・ワーキングメモリの容量が小さいため、整理整頓が苦手。

・周囲の状況や相手の気持ちを汲み取るための注意力が乏しく、他人とのコミュニケーションが苦手である。

・自分の関心が無く苦手な仕事に、集中力を発揮することに対して、強い抵抗感・ストレスを感じるため、やるべき仕事を先延ばしされ、山積みになりがちである。その結果、期限がしばしば守れない。

・後々のことを計画的に考える能力が低い上に、嫌なことを先延ばしたいという気持ちが強いため、ともかく「その場がしのげればいい」という安易な考えから、嘘をついてしまう傾向がある。




上記のことを踏まえると、大阪市職員の「能力不足」な点と、ADHDの特徴は、とても良く似ているような気がする。



この大阪市職員がADHDだと仮定すれば、「能力不足」と言われている点について、全て説明がつく(下記の通り)。

・エクセルの入力ミス
 → 不注意によるケアレスミス

・書類作成の仕事に着手していなかった
 → 先延ばし癖

・意味の分からない言い訳
 → その場しのぎの嘘をつく傾向

・上司や同僚とのコミュニケーションとれない
 → コミュニケーションが苦手

・時間が守れない
 → 時間管理が苦手


僕は医者ではないし、大阪市とは縁もゆかりもないので、絶対にADHDだと言い切ることは絶対に不可能である。


しかし、彼らはADHDであることは、何となく間違いないという気がしている。

というのも、正直に言うと、僕自身がADHDであり、かつクソ公務員だからである。

なので、僕は、今回クビになった大阪市職員に対して、少なからぬ同情の念を抱いている。



Twitter”や”Yahooニュース”のコメントで、

「なぜこのような人材を採用したのか?」
「こんな低能力のやつが公務員試験に受かるわけない。」
「コネ採用に違いない。」

というのが結構あった。


ADHDの公務員として、僕の個人的な意見を述べたい。


ADHDの人間は器用にコネを使って採用を勝ち取れるほどの、高いコミュニケーション能力を持っている人間は少数派だと思う。

たまたま自分の親が大阪市職員だったというのはあり得るかも。


僕が思うに、ADHDの人間にとっては、コネ採用なんかより、普通に公務員試験を受けて採用される方がよっぽど簡単である。

ADHDでも、高学歴で、勉強だけは人並み以上にできるという人間はたくさん存在する。

公務員の筆記試験くらいなら、大学受験を乗り越えたADHDであれば、難なく突破できるはずである。


問題になるのは面接だ。

しかし、面接官が、多くの就活生の中から、面接を行うほんの一瞬の短い間に、ADHDの気配を感じ取り、不採用にするという芸当は難しい。

公務員試験の面接向けの対策本は本屋に行けば容易に手に入るので、民間と比べると対策がしやすい。

面接中の短い時間の間だけであれば、ADHDを何とかごまかすことも決して不可能ではない。


というかそもそも、ADHDを持っている当の本人ですら、自分がADHDであることに気づいていないという場合も多い。

「学生の間はちょっと変わった奴といわれるくらいで結構何とかなっていたが、社会人になってからどうしようもない壁にぶつかって初めて、自分がADHDであることに気づく」というパターンも多い。

本人が20年以上かかって気づけないようなADHDを、初対面の面接官が見抜くなんて、絶対に不可能だろう。



そんな感じで、ADHDの人間が公務員試験に受かってしまうということは、十分起こりうる。僕がそうだったように。



そのような「能力不足」の人間が、公務員になってしまうということは、とても不幸なことだ。

まず、市民にとって不幸なことだ。無能な人間のために税金を払わなければならないし、市民に対するサービスも低下するだろう。

次に、大阪市の他の職員にとっても不幸なことだ。
ADHDの部下がいたら、大変だろう。
特に、運悪く直属の上司になってしまったら本当に地獄だろう。

そして、「能力不足」である本人にとっても、非常に不幸なことだ。

公務員という職業は、ADHDにとって最悪だと思う。

起業家にはADHD気味の人間が多いと聞いたことがあるが、起業家の正反対とも言うべき”公務員”という職業は、ADHDの人間にとっては最も不向きな職業のうちのひとつである。

例えば、

・無駄に細かい事務作業が多い。
 → 不注意からのミスが多い。

・書類の量が多い。
 → 整理整頓が苦手で机が一瞬で山積みになる。

・市民、関係機関、関係部署、民間業者等との調整や協議が多い。
 → コミュニケーション能力が圧倒的に不足する。

・細かいスケジュール管理能力が必要とされる。
 → 時間管理ができず締め切りを破りまくる。

・数多くの法律、条例、基準等のルールを遵守しなければならない。
 → ADHDのほとんど唯一の長所である”個性”が殺される。

といったところが、ADHDにとって公務員という職業は圧倒的に不向きであると僕は感じる。

かといって、民間に向いているわけでは決してないから、自分がどんなに公務員に向いていないと自分で理解していても、「公務員を辞めて他に行き場所なんてどこにもない」と感じている不幸なADHDの公務員は全国的に一定数は存在するはずである。

不向きな職業だと分かっていながら、辞めるに辞められず、定年まで日々苦痛を感じ続けるのは、とても不幸なことではないだろうか。



だから、このような形で大阪市職員がクビになったことは、市民にとっても、市職員にとっても、本人にとっても、とても良いことだと思う。



ただ、僕が心配なのは、大阪市は、彼らに対して「1年以上かけて指導等を実施してきた」とのことだが、その一年の間に、「彼らは何らかの病気ではないか?」という疑いを持って、病院に行くのを勧めるくらいはしただろうかということだ。

まぁ仮に病院に行って、彼らがADHDであることが判明したとしても、大阪市の中でADHDが働ける環境を作り出すというのは容易なことではないだろう。

結局、障害者だろうが何だろうが、公務員として「能力不足」な人間をクビにすることは正しい。圧倒的に正しい。

が、ひょっとしたら、「能力不足」だった職員にぴったり合うような他の部署が大阪市の中に見つかって、適切なサポートを受けることによって、大阪市にとって有益な職員に化けるという可能性もゼロではない。



発達障害の人間の多くは、「自分の好きなことに関しては、過度な集中力を発揮し、とことんやる」という長所を持っている。

長所を生かせる環境さえあれば、その分野で一角の人間になれるかもしれない。

実際に、ADHDアスペルガー等の発達障害の傾向を持っている著名人は数多く存在している。

もちろん、自分の好きなことをどれだけ追求しても、それが全く世の中に役に立たないことだったり、好きなだけでは全然結果が伴わなかったりして、結局は不本意な選択肢を選ぶしかないという場合もあるだろう。

でも、せっかく普通の人間とは違う脳みそを持ってこの世に生まれてきたんだから、リスクを負ってでも好きなことをとことん突き詰めてやってみることが幸せなことではないだろうか。



最後に、アメリカの話だが、とても興味深い話がある。

ADHDの成人は高校や大学を中退して、教育プログラムが完了できなかったり転職や欠勤が多かったりするために、一人平均の年間合計で、ADHDでない者に比べると1万ドルの収入損失(年収が低い)と考えられる。アメリカでは成人人口の4.3%、800万人以上がADHDを有すると研究で見積もられている。従って、全米にすると770億ドルの損失につながると試算された。ADHDはアメリカにとって非常に損失の多い医学的状態の一つかもしれない」らしい。

2015年時点で、アメリカの人口は321.24百万人、日本の人口は127.73百万人である。

1$=120円、日本でも成人人口の4.3%がADHDであると仮定した場合、日本国内では、年間約3兆6千億円の損失が発生しているということになる。

どちらかというと、アメリカの方がADHDの人間が暮らしやすそうなイメージなので、日本での損失額は約3兆6千億円よりも多いかもしれない。



ADHDは少数異民族のような存在かもしれないけど、彼らがその長所を生かせるように周りの人間が適切にサポートするということは、日本という国家にとって非常に有益なことなのかもしれない。

友人T君の結婚式にて

先日、高校・大学時代の友人のT君の結婚式に行ってきた。
友達の多いT君らしく、なかなか盛大な結婚式だった。
まぁ全体的にはベタな展開で失笑を誘うという彼の一番得意な流れで、とても素晴らしい結婚式だった。


一番印象的だったのは、式を締めくくる、T君のお父さんのスピーチだった。

「結婚式のスピーチの本をたくさん読んで、原稿をたくさん書いて、練習もしたけど、原稿を読むのはやめた。本にはスピーチで自分の感想を言ってはいけないって書いてたけど、こんなにたくさんの人が息子を見守ってくれていたと思うと胸がいっぱいになった。今まで苦労もあったけど、T君を育ててきて本当に良かった。」

お父さんのスピーチに心を打たれながら、その一方で僕は別のことを考えていた。



僕とT君は違う人間であるというのは、高校1年生に出会った瞬間からわかっていたことだけど、その考えがようやく僕の腹の底に落ちたのは、このT君の親父のスピーチの時かもしれない。


どんなに頑張っても、僕はT君のようには決してなれない。
僕は僕なりの人生を選ばなきゃいけない。
心の底から思った。



僕の今までの人生を振り返ると、本に書いてあることを取ってつけたような原稿どおりの生き方だったように思う。

いつも自分の居場所がないと感じていた。
自分の意志で自分の生き方を決めたことなんて一度もなかった。
人の目を気にしてばかりだった。誰も僕のことなんて見ていなかっただろうに。
T君のような人達を見ると、いつもうらやましかった。
なぜ僕はT君のようにはなれないのかといつも思っていた。


高校生の僕に言ってやりたい。
「諦めるということは決して悪いことじゃないよ。物事を「明らかに見る」ということやで。あと、株をやってみろ。面白いぞ。」

最近は、株をやってるせいか、自分にあったやり方で生きるということに対して、以前より恐怖を感じなくなったように思う。たぶん。


ともかく、掛け値なしに素晴らしい結婚式だった。高校時代の他の友人にたくさん会えたのもとても良い刺激だった。
その反動で、結婚式の翌日、自分の置かれた現実に対する絶望感が半端なかったけど。