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林くんの日記

そこには元気に走り回る林くんの姿が!

アドラー心理学の納得できないこと3つ

僕はアドラー心理学には納得できないけれどアドラーのことは嫌いではない。というか素直にアドラーは偉人だと思う。

 

アドラーは幼い頃、声帯のけいれんとくる病に苦しんだ。肺炎で死にかけた。弟が感染症で死んだ。運動が苦手だった。学校の成績が悪くて、学校を中退して靴屋への弟子入りを勧められたこともあった。健康で優秀な兄に劣等感を抱いた。自分以外の兄弟をかわいがる母親と不仲だった。身長は150cmまでしか伸びず、他人から見下ろされるのがコンプレックスだった。

しかし、アドラーは逆境に負けず劣等感をバネにして頑張った。強靭な意志をもって努力を続けた。その結果、立派な精神科医・心理学者として後世に名を残した。

 

現代の日本で、”嫌われる勇気”等がベストセラーとなり、アドラーブームが巻き起こっているのは決して不思議なことではない気がする。実際に、アドラーの生き方や思想に触れて、”勇気づけ”られている人は多いと思う。

 

でも、「アドラーが偉人であるがゆえに、アドラー心理学では多くのことが見落とされている」と僕は思う。

たぶん、アドラーの掲げる目標が高すぎて、現実からかけ離れた極端な理論になってしまっている(極端だからこそアドラーブームが巻き起こったのかもしれないけど)。

アドラーの言う、「原因論より目的論」というのは、あたかも100%正しいように聞こえるけど、あまりに高すぎる目標や現実的でない目的を掲げてしまうのは間違いである。”過ぎたるは猶及ばざるが如し”である。

アドラーの妻や友人が社会主義者だったらしいけど、社会主義の現実離れした思想から多少影響を受けた部分もあったのかも。

 

 

 

僕がアドラー心理学に対して、納得できない(訂正した方が良い)と思う点は、次の3つ。

①トラウマは存在しない

②承認欲求の否定(他者から承認を求めてはいけない、褒めてはいけない)

③幸福とは貢献感である

 

 ①「トラウマは存在しない」について

アドラー心理学において、「目的を重視する」という考え方には納得できる。原因が何かを突き止めるよりも、これからどうするかということを考えることの方が大事、というのは、もっともなことである。

 だがしかし、「トラウマは存在しない」は明らかに言い過ぎである。

 

例えば、僕が風邪のような症状で病院に行ったとする。

僕としては、それが風邪ウイルスだろうがノロウイルスだろうがインフルエンザウイルスだろうが、適切な治療を行ってくれるならば医者に対して何も文句はない。

逆に、正確な病原菌の種類を教えてくれたとしても、治療方法がさっぱりわからない、という医者は嫌だ。原因なんてどうでも良いからとにかく治してほしい。

 

この例の場合、「病原菌なんて存在しない!」と断言してしまうのは明らかに間違っている。「病原菌なんて大した問題じゃない!とにかく治してくれ!」くらいの言い方が適切だろう。

 

つまり、「トラウマなんて存在しない!」じゃなくて、「トラウマなんて大した問題じゃない!」くらいの表現に訂正すべきだと思う。

トラウマにとらわれず、目的に目を向けることは確かに重要かもしれないけど、だからといって「トラウマが存在しない」と断言するのは明らかにおかしい。

 

②承認欲求の否定

承認欲求を否定するのはやり過ぎだと思う。

 

確かに、他人から褒められることだけに喜びを感じる人は、哀れで不幸な人間だと思う。

承認欲求を否定すれば、そのような不幸な人間になることを防ぐことができる。

が、それよりもっと現実的な代替案がある。

  • 承認欲求以外の欲求を満たすことによって、相対的に承認欲求を小さくする

という方法だ。なにも人間の本能的な欲求を消そうなんて無茶する必要はない。

ゲーム好きな少年が寝るのを忘れて徹夜でゲームができるのはなぜかといえば、少年が寝るのを必死でガマンしているからではなく、ゲームに夢中だからである。この場合、ゲームをしたいという欲求を満たすことによって、相対的に睡眠欲求が小さくなり、寝ることを忘れてしまうのである。

  

それから、アドラーは賞罰教育を厳しく批判したらしい。子供を褒めることすらもダメらしい。

しかし、だからといって「褒めるのがダメ」というのは明らかにやり過ぎだと思う。

褒めることや叱ることそのものが間違っているのではなく、褒め方や叱り方に問題があるというだけなんじゃないかと思う。つまり、不適切な褒め方が悪いのであって、適切な褒め方をすれば良いというだけのことじゃないだろうか。

 

もちろん、何でもかんでも褒めて褒めて褒めまくって子供を育てれば、褒められなければ何もしない子供に育ってしまうかもしれない。

しかし、褒めることで自然と愛情を伝えることはかなり重要だと思う。”適切な褒め方”で子供を褒めれば、普通に自立した子供に育つんじゃないだろうか。

(”適切な褒め方”というのは、例えば、”子供が自発的にしたことについて褒める”、”成功や失敗ではなく、努力そのものを褒める”、”他人と比較して褒めるのではなく、子供自身の成長を褒める”…etc)

 

 

③幸福とは貢献感である

確かに、他の誰かに貢献していると感じることは、幸福感のひとつの種類であると思う。しかし、幸福は貢献感だけではない。というかむしろ、人によっては、それ以上の幸福感が存在する。

 

ビートルズが大好きな友人が、「ジョンとポールがハモり、ビートルズが演奏する。それだけで最高じゃないか」と言っていたんだけど、例えば、ジョン・レノンにとって、「良い曲を作って、歌って、演奏する」以上の幸福はありえないんじゃないだろうか。誰かに貢献するとか貢献しないとか、”イマジン”で反戦ムードが高まったとか、そんなことは彼の幸福感に全く影響を与えなかったんじゃないだろうか。

 

アドラー心理学では、「共同体感覚を持って、他者に対して貢献する。それだけで最高じゃないか」みたいなことが言われているけど、確かにアドラーにとっては貢献感こそが幸福だったんだろう。でも、全ての人がそうではない。貢献感以外の幸福は存在しないというのは明らかに言い過ぎである。

 

「幸福とは貢献感である」と断言してしまうと、貢献感以外の幸福がまるで存在しないかのように感じる人もいると思う。だから、「貢献感によって幸福を感じることができる」くらいの表現に訂正すべきだと思う。