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林くんの日記

そこには元気に走り回る林くんの姿が!

「この世界は神が書いた一冊の小説である」説 ~イワン・カラマーゾフの無神論に対する提言~

ロシア文学の巨匠、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟という小説の登場人物、イワン無神論者である。

 

イワンの言い分はこうである。

「もし神がいるとしたら、悲惨な虐待を受けている子供たちがこの世界に存在している。子供たちには何の罪もないのに。悲惨な幼児虐待がこの世に存在しているということ自体が、神が存在しないことの証明であるし、仮に神が存在していたとしても、幼児虐待を認めるような神を私は絶対に認めない。」

これは正論だと僕は思う。

神を信じている人はこれに一体どうやって反論するか心配になるくらい、正論だと思う。

 

イワンの言っている幼児虐待に限らず、この世界には悲惨なことがたくさんある。神を信じていない僕みたいな人間が悲惨な人生を送るのは自業自得だから文句はないけど、「純粋に神を信じているのにむごい人生を送っている全然救われない人々が、あまりにも多過ぎるのではないか?そこんとこはっきりしろ神様!」と、誰しもが一度は考えるのではないか。この世界を創った神は、一体何を考えているのかなぁという疑問は僕の中で深まるばかりであった。

 

今まで、僕の中で深まる疑問に対していろいろ考えてたんだけど、ついに僕はある答えに辿り着いた。

 

それが、「この世界は神が書いた一冊の小説である」説である!

 

「この世界は神が書いた一冊の小説である」説とは

仮に、あなたが小説家だとして、一冊の小説を書くとする。

「私は世界をりました。大地やら海やら空やら生物やら、とにかくいろいろって、最後に人間をりました。人間は誰一人として不幸ではありません。みな幸福です。」

みたいな、退屈な小説を書くだろうか。

 

きっと賢明なあなたなら、例えば、「アダムとイブが禁断のリンゴを食べちゃった」とか、「大洪水が起きてノアの箱舟を作った」とか「キリストが裏切られて処刑された」とか、100%幸福な話には絶対にならないはずだ。

 

で、仮に、自分の小説の中で「悲惨な虐待を受けている子供たち」を登場させたとしても、べつに自分の作った小説の中でいくら悲惨なことが起きたって、それは作者であるあなた自身の作り話だから、あなたは全然悪くないはずである(小説の中の登場人物には作者を悪く言われる可能性はあるけど)。

100%幸福でつまらない話より、悲惨なことも起きる面白い話を作りたいと思うのは、ごく自然なことじゃないだろうか。

 

僕の妄想だけど、神様がいるとしたら、こんなややこしい世界をっちゃうくらいだから、神様って時間が余りまくってて、退屈で退屈で仕方がないんじゃないだろうか。

この世界をったのも単なる退屈しのぎで、決して人間を救うためじゃない気がする。というか人間をったのも神様なんだから、人間を救うためにわざわざ人間をるなんて変な話だ。

 

小説の作者は登場人物を救うために小説を書くわけでわない。小説を面白くするためとか、自分の考え方を世間に伝えるためとか、そういう理由のために、登場人物を利用するのである。登場人物をいくら痛めつけたところで、それが小説の中での出来事である限り、罪に問われることはない。

(…いや、小説家が罪に問われることも一応あるなぁ。内容があまりに過激すぎて投獄されるとか。でもそれって、あくまで小説の外側にいる存在が作者に罪があるかどうかを決めるのであって、例えばカラマーゾフ・イワンのような、小説の中のひとりの登場人物ごときに「作者には罪がある」って言われる所以はないから、やっぱり、「小説家の作った世界の中では、罪に問われることはない」という結論に至る。)

 

 

ところで、僕はカラマーゾフの兄弟は上巻だけ読んで、ギブアップしてしまったような気がする。下巻からが一番面白いらしいね。まぁいつか気が向いたら読みたいと思っている。