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林くんの日記

そこには元気に走り回る林くんの姿が!

男女同権について本気出して考えてみた ~弱者の立場を利用して暴力を振るうのはいかがなものか~

社会 文学 倫理

太宰治の男女同権という本を青空文庫で読んだ。

「男女同権」とは、男の地位が女の地位まで上がったということです。

 という一文から分かるように、彼のいう「男女同権」という言葉の意味は、普通とちょっと違う。要は、彼の言いたかったのは、「女性という弱者の立場を利用して暴力を振るうのはいかがなものか」というような事かなぁと思う。そういう視点のもと、「おれは今まで女達からこんなにひどい仕打ちを受けまくってきたんだよ!」という事を最初から最後まで、延々とグチグチグチグチ語り続けるだけの話だった。自虐的なギャグ小説と思って読むとまぁまぁ面白かった(太宰治を楽しく読むコツは、共感できるところは普通に共感して、共感できないところはギャグと捉えて笑ってあげるという姿勢で読むと良い)。モテる男も大変だなぁと思った。

 

この話は1948年に書かれたらしいけど、68年後の今の時代でも、女性の権利については改善されたと思うけど(完全に改善されたというわけではないかも)、「弱者の立場を利用して暴力を振るうのはいかがなものか」と言いたくなる場面は、かなり頻繁にあるのではないかと思う。

 

例えば、戦前の日本の行いに対して未だに文句を言っている中国や韓国なんかにも、「弱者の立場を利用して暴力を振るうのはいかがなものか」と言っても良いと思う。中国や韓国の反日を見ていると、弱者である事は、デメリットばかりではないという事が分かる。

 

「弱者のメリット」の良い例として、「一夫多妻制」がある。一夫多妻制ではオスの方が死にやすい、という話を聞いたことがある。

一夫多妻というと、女は政略結婚ばかりさせられて、自分の意思で男を選べないし、男の権力に比べて女は何の権力もなく、男の言うがままになるしかない、というようなデメリットは確かにある。

しかし、野生のライオンとかを見れば分かるけど、確かに、一握りの強いオスは、多くのメスを従えて、一日中寝っ転がったりセックスしたりするだけの良い身分であるに違いないけど、一握りの強いオス以外は、群れからはぐれてたった一匹で生活しなくてはいけない、という厳しい危機的な状況に陥る。たぶん、こうした一夫多妻制の社会では、オスよりメスの方が、自分でオスを選べないというデメリットはあるけど、よっぽど不細工なメスでもない限り、生き残ること自体は比較的簡単である。

まぁライオンの例えはかなり極端ではあるけど、ライオンと同じ哺乳類の動物である人間の社会にも、似た部分はあると思う。

 

しかし、現代の人間の世界では、男女同権ということで、強者も弱者もないという世の中になり、男女間においては、弱者として弱者の戦法を使うことは、少しやりにくくなったのかもしれない。

しかし、中国や韓国の反日の例で挙げたように、現代においても、そういう戦法はわりと利用されている。

 

例えば、ネット炎上なんかも、弱者側のネットの住人達が、強者側(テレビに出ている有名人とか)の些細な不祥事をクソミソに叩きまくるのも、弱者の心理から起こっている事だと思う。

最近では、弱者の戦法を、弱者の戦法で破るみたいな、いわば弱さの競争みたいな、変な図式になったりもしている気がする。ちょっと前に、NHKで紹介された貧困女子学生が影で贅沢していたという事で炎上したのが話題になってたけど、それも、貧困女子学生の使う弱者の戦法を、ネットの不特定多数の弱者が叩くという、弱さの競争の図式になっていたと言える気もする。

 

太宰治が男女同権を書いてから68年の年月が過ぎても、弱者の立場を利用して暴力を振るう人はあとをたたない。

 

でも、そもそも、キリスト教の教えにだって、弱者優遇の思想が組み込まれている(金持ちは地獄に落ちるけど貧乏人は天国に行ける、的な思想がある)くらいなので、もう、この弱者の論理は、人間が普遍的に持っている本性ではないかという気がする。ニーチェがいうところのルサンチマン("妬み"みたいな意味の言葉)を、誰でも持っている。

 

僕は、ニーチェもちょっと好きなんだけど、ニーチェも、「ルサンチマンを克服しよう」と言っていたけど、それも弱者の論理を使うのは良くないという事が言いたかったんじゃないかと思う(ニーチェ自身がルサンチマンを完全に克服していたとは思えないけど)。しかし、残念ながら、人類は、永遠にルサンチマンを克服出来ないような気がする。

だから、太宰治ニーチェも女性も中国も韓国も貧困女子学生もネット民も僕も、みんな弱者の戦法を思う存分使っている気がするけど、もうそれはそれで仕方がないと割り切るしかない。

 

個人的には、弱者の戦法を使うのはちょっと格好が悪いと思っている。例えば、僕は別に巨人ファンではないけれど、アンチ巨人の人はすごく格好が悪いと思っている。

僕は、弱者の戦法を、めちゃめちゃ使いたいといつも思っている。使いたいけど、無駄にちっちゃなプライドを持っているおかげで、それを使うのを必死で我慢している。そして、必死で我慢しているからこそ、何のプライドも持たず自分が弱者であることをおおっぴらに認めてグチグチ言っている人間に対して、「なんて格好悪い人間なんだろう」「あんな人間には絶対になるもんか」「ギャグとして見れば面白いかも」と、僕は思ってしまう。太宰治の何の話か忘れたけど、悪徳は悪徳を発見する、という言葉があるけど、僕が弱者の戦法を使っている人をすぐ見つけられるのは、僕自身がそういう人間だからに他ならないという気もする。