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林くんの日記

そこには元気に走り回る林くんの姿が!

メアリーの部屋について本気出して考えてみた ~クオリアは後天的に習得するものである説~

僕は、唯物論や物理主義を信じている。しかし、僕とは違って、神や仏や霊魂の存在を信じている人もいる。

 

"メアリーの部屋"という思考実験がある(マリーの部屋と呼ばれることもあるらしい)。この思考実験は、「この世界にある、ありとあらゆる物事は全て物理的なものである」という物理主義を批判するために考案されたものである。

 

ネットで調べたら分かるけど、一応、メアリーの部屋について説明しておく。

メアリーは白黒の部屋で生まれ育った女性である。メアリーはこの白黒の部屋から一歩も出たことがなく、メアリーは生まれてこのかた色というものを見たことがない。しかし、メアリーは白黒のテレビや白黒の本を通じて、世の中には色というものが存在する事を知っているし、色についての物理的な知識も、全て知っている。

このメアリーが、白黒の部屋から外に出たとき、メアリーは何か新しい事を学ぶだろうか?

 もし、メアリーが、何か新しいものを学ぶとすれば、メアリーは物理的な知識以外の知識を学んだ事になる。ということは、「この世界にある、ありとあらゆる物事は全て物理的なものである」という物理主義は、間違いである。…という結論が導き出される。

 

ってのがメアリーの部屋の概要である。

 

言い換えると、

赤色のリンゴを見たときの、「ああ、赤い!」という、ありありと赤い色を感じる時の質感のことを、赤のクオリアというけれど、はたして、この赤のクオリアは、物理的な現象なのか?それとも、物理的でない超常現象なのか?

 ということである。

 

僕は、この、赤いクオリアは、進化の過程において、ごく自然と獲得された、極めて物理的な現象だと思う。

 

ここで、猿がクオリアを獲得する過程について考えてみようと思う。

 

この間、"地球大進化"というNHKの番組を見たんだけど(めちゃくちゃ面白かった)、その番組のなかで、原始的な猿が、高い視力を得ていく過程についての話があった。

恐竜が絶滅した後も、地上には危険な天敵がたくさんいたので(このうち、ディアトリマという恐ろしい巨鳥は、FFのチョコボのモデルになっているらしい)、ご先祖様たちは、危険な天敵のいる地上には降りることなく、エサとなる果実を提供してくれる広葉樹林の上で、樹から樹へと飛び移りながら暮らしていた。

その暮らしの中で、ご先祖様たちは、樹の上での生活に適応するために、枝と枝との空間の距離を立体的に捉えたり、果実を効率よく探すために、高い視力を持つようになった(他にも、樹の枝や果物を掴めるような手の形になったり、高い視力を利用してお互いの表情を認識する事ができるようになったため、豊かな表情が生まれ、複雑なコミュニケーションがとれるようになったりした)。

 

たぶん、ご先祖様たちは、このように視力を進化させる過程の中で、色のクオリアを獲得していったと考えられる。食べられる果物の色を瞬時に判断するために、色のクオリアがあった方が、どう考えても便利だからである。たぶん、 色のクオリアを持たない猿は、どんどん自然淘汰されていっただろう。

 

ところで、赤のクオリアを持たない猿は、はたして、赤い果実を見つける事ができるだろうか。

例えば、黄色い果実しか見た事がない猿がいたとする。彼は、黄色いものを見るだけでよだれが出てしまうくらい、その黄色い果実が大好物である。

しかし、彼の住んでいる地域には黄色い果実しか存在しないので、彼は赤い果実を生まれてこのかた見たことがない。

ここで、かなり心が痛むけど、彼を、赤い果実しか存在しない遠い地域に強制的に引っ越しさせたとすれば、一体どのような事が起きるだろうか。

引っ越し後、しばらくして、お腹が空いてくると、まず、黄色い果実を探すだろう。めちゃくちゃ必死で探すだろう。この時、赤い果実が視界に入ったとしても、黄色い果実を探すのに夢中で、なかなか赤い果実には注意が向かないのではないだろうか。

しかし、やがて、今まで見たことのない色の果実があることに気がつくはずだ。当然、彼は、それが食べられる果実かどうかは知らない。しかし、樹の枝についている目立つ色のものという点で、黄色い果実とよく似ている。変な臭いがするわけでもない。何より、このまま何も食べなければ死んでしまう。ということで、彼は勇気を出して、その赤い果実を食べるだろう。その初めて食べた赤い果実が「おいしい!」と感じたなら、もっとその赤い果実を食べたいと思うはずだ。

そして、彼は、初めての赤い果実を食べ終わったあと、顔をあげて、辺りを見回した。

何ということでしょう!」と彼は驚いた。さっき、黄色い果実を必死で探していた時とは、全く違う光景が目の前に広がっていた。たくさんの赤色が、彼の目に飛び込んできたのだ。彼は、赤い果実が食べられると言うことを学んだ事で、「ああ、赤い!」という、ありありとしたその果実の赤い色を感じる能力を後天的に習得することができたのである。つまり、彼は、赤のクオリアを手に入れたのである!

以後、彼は赤のクオリアを利用して、赤い果実を探すという行為を何度も何度も繰り返し練習することにより、赤い果実を見つけるのがとても上手になり、エサを食うのに困らなくなりましたとさ。めでたしめでたし。

 

要するに、クオリアは、後天的に学ぶ技術のようなものだと考えられる。後天的に学ぶ技術は、物理的な知識、というよりも、物理的な経験、とでも言うべきなのかもしれない。

とにかく、メアリーが色のクオリアを実感したという現象は、物理的な経験としての色の情報が脳のメモリーに足されるだけの現象であり、何か霊的なものが増えるというような超常現象ではない。

 

また、クオリアは、後天的に学ぶ技術だから、赤い果実を上手に見つけるために赤のクオリアを学ぶ事と、自転車の乗り方を練習して学ぶ事は、後天的に技術を学ぶという点で同じである。

もしメアリーが、テレビと本だけで自転車の乗り方について徹底的に勉強した後、実際に初めて自転車に乗った時、何か新しい事を学ぶだろうか?

もちろん、メアリーは何回も転んだ後、大いに新しい事を学ぶだろうけど、自転車の乗り方を練習するという事は、「自転車を乗るときの体の動かし方という物理的な情報」を脳みそに蓄積していくだけの作業と言える。だから、極めて物理的な現象だと言える。

自転車に乗る感覚も、色のクオリアの感覚も、物理的な範囲の中で起きている普通の現象である。