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林くんの日記

そこには元気に走り回る林くんの姿が!

不倫とか未成年飲酒って、本当に「未然に防げたこと」なの?

不倫騒動で活動休止していたベッキーが、10月9日のワイドナショーという番組にて、5ヶ月ぶりにテレビ復帰したらしい。その番組内で、ゲス川谷の未成年飲酒騒動に対して、「未然に防げたことなんじゃないかな」と言ったらしい。

 

まず、僕が思ったのは、「自分だって不倫を未然に防げなかったのに、よくそんなブーメランみたいな事言えるなぁ」という事。ネットのコメントを見ても、そういう感想が多かった。

 

しかし、ここで、よくよく考えてみると、意外と、僕だってベッキーやゲス川谷を責める事は出来ないのではないか?という気がしたのだ。

 

僕は不倫をした事がないので、不倫をする人の気持ちはよく分からない。そりゃそうだ。不倫する人と僕は、違う人間である。たぶん、生まれ持った素質とか、生まれ育った環境とか、性癖とか、性欲の強さとかが違うのだろう。

そして、僕が僕として生まれた事はたまたまであり、不倫する人がその人として生まれた事はたまたまである。僕だって、たまたま不倫する人に生まれていたかもしれない。

 

同じような事例で、例えば、麻薬で捕まった有名人の息子のニュースを見て、「あり得ない!」と一瞬思うけど、彼は、裕福な有名人の息子という、麻薬業者からかなり狙われやすい境遇にたまたま生まれてきてしまっているのだ。僕だって、彼の立場であれば、同じことをしたかもしれない。

 

つまり、僕が僕として生まれたのも、川谷絵音が川谷健太として生まれたのも、ベッキーレイボーン・英里・レベッカとして生まれたのも、全ては偶然の出来事であり、自分がどういう人間として生まれ育つかは、完全にランダムな出来事でしかない、というのが僕の考え方の概要である。

 

というのも、僕は、「自分の意識によって、自分の行動を変える事はできない」というわわりと無責任な思想を、けっこう真剣に信じているから、そんな事を考えるのかもしれない。

これは、ちょっと前に流行った「アドラー心理学」とは真逆の思想である。「アドラー心理学」という思想においては、「人生とは、自分の意志で選択していくものである。」という考え方をする。これは、第二次世界大戦後に世界中から注目されたサルトル(フランスの哲学者)の実存主義という考え方に似ていると思うけど、アドラーサルトルを先取りしていたと言える(個人的にはサルトルの方が好きだけど)。しかし、二人とも正しくないという気がする。西洋的な、自己中心的な考え方に偏り過ぎている。

 

僕が思うに、「人生とは、無意識下で決定された行動の結果、自動的に選択されていくものである。」というのが正しいって気がする。「自分の意志で人生を選択している」というのは、ただの幻想であり、人間は、何一つ、自分で決められない自動ロボットと言っても過言ではない気がする。これは、わりと東洋的な考えだと思う。

 

こんな風に考えるのは、僕が比較的モラルの低い人間だからなのかもしれない。そもそも、未成年飲酒なんて、大学の新入生が飲みまくってる現実的を考えると、法律を変えるしかないと思うし、不倫だって、成り行きでそうなってしまったら本人たちにはどうしようもないんじゃないかという気もする。

 

 

以上より、こういう些細な不祥事に文句を言いたいと思う人は、文句を言う前に、「自分が自分である事も、彼らが彼らである事も、全くの偶然の出来事であり、自分と彼らの間に優劣など全く存在しない」という考え方を、ちょっとくらい知っててもいいんじゃないかなぁって気がする。